こちらのポスターにつきましては、お好きなようにお使いください。
制作・著作 野獣祭実行委員会
カウントダウン
メインイベント
5:14 下北沢キャンパス閉鎖
8:10 開会式
9:31:50 拓也の宣誓3000秒
11:45:14 「こ↑こ↓」の儀
12:00:00 真夏の昼の咆哮
13:14 YAJU&U公演
14:30:00 関西クレーマーによるクレーム演説
15:06:40 空手部 性の裏技
17:14 黄昏レイプ
19:19 来年も来いよの会
20:10 閉会式
21:31:50 拓也の花火3000発
23:45:14 下北沢キャンパス閉鎖解除
咆哮ボタン
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野獣祭の起源
野獣祭の起源は、一人の男に由来する。
彼の名は田所浩二。
享年24歳。最終階級は少佐(死後大佐に昇進)。
東京淫夢大学(旧東京淫夢帝国大学)19期生。
出生地は東京府荏原郡松沢村(現在の東京都世田谷区下北沢)。
本学には1938年4月に本学に入学し、1942年3月に卒業。その後に軍部より招集され、戦地へ赴く。
第114師団に配属された後は、数々の戦績を挙げ異例の速さで昇進。1944年春には少佐にまで昇りつめる。しかし、太平洋での戦闘で敵軍との圧倒的な物量差に苦しめられ、ついに1944年8月10日にジュッセンパイヤー島の戦いにて玉砕。 恐れを知らぬ勇敢な戦い様から、アメリカ軍からは「野獣」と畏れられていた。また、部下からの信頼も厚く、その寛大な器量から「器がデカすぎる」「人間の鑑」「一生大日本帝国の宝物」などといった敬称を付けられていた。
引用元:ピクシブ百科事典
昭和19年8月14日19時19分、大本営はジュッセンパイヤー島守備隊の玉砕を発表し、彼の訃報は東京淫夢帝国大学に通う学生の知るところとなった。そして敗戦後の1946年8月10日に、彼の魂を鎮めるために当時の田所浩三総長の提案により、鎮魂の祭事が執り行われることとなった。その式典は「野獣祭」という名で現在にも受け継がれている。
※なお、本学の設立者である田所浩二氏とは同姓同名だが、まったく別の人物である。
