本学について

本学の理念

・王道を往け。
・人間の鑑たれ。
・後輩を愛せ。

本学の理念は、今は亡き初代総長田所浩二氏が学生に対して語っていた人生の教訓をもとにつくられました。
王道とは、誰もが歩む既成の道を意味するのではありません。それは、自分自身が最も心から納得できる道を選び取ることを指します。たとえ周囲と異なる選択であっても、自らの価値観に照らして確信を持てる道を進むことこそが、人生において何より大切なのです。

設立

本学は1919年に田所浩二(タドコロコウジ)氏によって設立されました。初めは野獣医学部のみでしたが、第二次世界大戦後に大学需要の急増によって他の学部も次々と新設され、2014年に現在と同じ9学部になりました。設立当初からある下北沢キャンパスは今や有名な観光地にもなり、毎年行われる野獣祭では全国各地から人が集まる場所となりました。

ムンバイ高校との協定

1984年3月4日、本校はインドのムンバイ高等学校との間で推薦協定を締結いたしました。
本協定の締結により、野獣医学部を除く全学部において、各学部19名分の指定校推薦枠を新たに設けることとなりました。
この取り組みは、国際的な教育交流の一層の深化を目的とするものです。今後も本校は世界に開かれた学びの場として、国際連携の拡充に努めてまいります。

岡山の県北キャンパス

別名:ドバーキャンパス

2006年8月16日、本校の名誉教授であった変態糞土方教授(通称名)が「岡山の県北のとある川の土手の下」とだけ書き記して行方不明になりました。このキャンパスを見たことがある人によると、広い敷地内に施設が建っており土方教授が農業を教えているそうです。翌年に、この場所は正式に農学部の活動区域として登録されました。現在は、キャンパスの位置がよくわからないこともあり、東京淫夢大学本部がほとんど運営をあきらめているため、本キャンパスを「ドバー大学」と揶揄する学生も少なくありません。

現在の運営体制

現在、東京淫夢大学は田所浩十(タドコロコウト)総長と、鈴木副(スズキフク)副総長を中心とする法人運営をおこなっています。田所浩十総長は入学者選抜試験における「野獣先輩と同じ性別の特別枠」の設置といった実績を持っています。

本学の卒業生

100年以上の歴史の中で、本学はこれまで数多くの卒業生を排出してきました。そしてその中には世界的に活躍しているような人もいます。

田所浩二(旧字:田所󠄁浩二)

享年24歳。最終階級は少佐(死後大佐に昇進)。
東京淫夢大学(旧東京淫夢帝国大学)19期生。
出生地は東京府荏原郡松沢村(現在の東京都世田谷区下北沢)。
本学には1938年4月に本学に入学し、1942年3月に卒業。その後に軍部より招集され、戦地へ赴く。
第114師団に配属された後は、数々の戦績を挙げ異例の速さで昇進。1944年春には少佐にまで昇りつめる。しかし、太平洋での戦闘で敵軍との圧倒的な物量差に苦しめられ、ついに1944年8月10日にジュッセンパイヤー島の戦いにて玉砕。 恐れを知らぬ勇敢な戦い様から、アメリカ軍からは「野獣」と畏れられていた。また、部下からの信頼も厚く、その寛大な器量から「器がデカすぎる」「人間の鑑」「一生大日本帝国の宝物」などといった敬称を付けられていた。
引用元:ピクシブ百科事典

昭和19年8月14日19時19分、大本営はジュッセンパイヤー島守備隊の玉砕を発表し、彼の訃報は東京淫夢帝国大学に通う学生の知るところとなった。そして敗戦後の1946年8月10日に、彼の魂を鎮めるために当時の田所浩三総長の提案により、鎮魂の祭事が執り行われることとなった。その式典は「野獣祭」という名で現在にも受け継がれている。

出兵前の田所浩二

※なお、本学の設立者である田所浩二氏とは同姓同名だが、まったく別の人物である。

三浦智将(みうらともまさ)

国内最大手の淫夢銀行である「三浦MUR銀行」の設立者。
東京淫夢大学在学中は迫真空手部に所属し、後輩を思いやる人徳者として有名だった。
卒業後は起業し、三浦MUR銀行を設立。現在は頭取として銀行を経営し、多くのスタートアップやベンチャー企業に対して融資を行っている。

西条拓也(さいじょうたくや)

拓也県の設立者。
学生時代に悶絶少年専属調教資格を取得し、東淫大を卒業後、自らの人脈を駆使し拓也県を設立。個人で新たな自治体を立ち上げた珍しい例として、国内外で紹介され有名になった。
現在は新宿調教センター、タクヤドリンク社など様々な企業を多角的に経営している。

本学卒業生が創立した企業・組織

田所工事
三浦MUR銀行
淫夢塾
YJSPジャーナル
拓也県
大坊数学社
タクヤドリンク社
エイトテン
新宿調教センター・新宿調教大学
鈴木服
野獣民主党
三浦重工業
屋上自衛隊

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